[QT一言アドバイス] 2020年6月6日(土)

申命記 28:25〜35
「敗北と不幸を終わらせる道はみことば への従順だけです」

ーみことばの黙想ー
みことば への不従順が起こす様々な問題です。悔い改めと従順の大切さを分かち合います。

25〜29節
イスラエルの民が不従順であれば、悲惨な敗北、エジプトでのさばきと同じひどい皮膚病、精神的な錯乱や盲目、そして、助ける者もいないという状況になると主が警告しています。

30〜35節
続いて、生活の隅々にまで至るほどに、家庭も仕事も、ようやく得た収穫や収入も奪われ、自分の健康までも蝕まれ、あまりの状況に正常な精神状態ではいられなくなると警告しています。
今日の聖書箇所の捉えるべきポイントは、私たちの不従順は自分たちの想像を遥かに超えて重い罪だということです。だから、従順であるべきです。
ただし、ここで、何か受け入れがたいものを感じてしまうのが人間です。(まさに、不従順ですが…)そこで、もう少し深く黙想します。
どうして、イスラエル以外の民も主に従っているわけではないのに、イスラエルは主に従わないことによって敗北が決定づけられるのかという質問が出るかも知れません。事実、後にイスラエル王国が滅びていくとき、アッシリヤやバビロンが神を信じていないけれども、イスラエルを蹂躙していくことになります。イスラエルの不従順は確かでしたが、互いに不従順なのに、どうして、イスラエルの敗北を神様が与えるのでしょうか?
これは、イスラエルが主の民だからです。イスラエルには神の国を示していくべき使命を負っているからです。もう少し身近に考えると、警察官や裁判官など正しいことに仕える人は、その他の一般人に比べても高い倫理観が求められるのと同じようなことです。イスラエルは神の素晴らしさを表すためのモデルケースなので、他よりも高い規範が示されます。
また、イスラエルは主に従う祝福も知っています。他の民はそれをはっきりとは知りません。知って犯す罪と知らないで犯す罪はどちらが重いでしょう。
もう一つ、この不従順がもたらす結果は、意識していないだけで、すべての人が受けていると考えられます。いまだかつて、永遠の王国を気づいた民はいません。すべての国が滅びています。永遠の国は、主が治められる神の国ということでしょう。
こうなると、何だか、イエス様を信じて、他の人よりも先に救われるのが怖くなりそうです。使命もあるし、リスクも高い感じがしてしまいます。
しかし、考えて欲しいことは、これらの問題があっても、神は民を見捨てられません。そして、祝福はこれらの不従順の結果よりも遥かに優れたものです。また、主はその時々に助けてくださいます。私たちには聖霊様(神様ご自身)が助けてくださることも覚えましょう。そして、これらは警告です。神様は突然さばかれません。さばかれる前に必ず警告をされます。それに答えて悔い改めるならば、必ず、赦されます。主の前にありのまま出ていきましょう。

ーみことばの適用ー
不従順の結果をよく覚えて、今日も、みことば や祈りの中で主に示されていることに従います。また、不従順であったことを深刻に捉え、悔い改めます。

ー今日の祈りー
自分の力では、不従順ばかりです。どうか哀れんでくださって、私も人々も主に従えるように助けてください。

[QT묵상 가이드] 2020년6월5일(금)

신명기 28:15~24
“불순종의 길로 행하면 은혜가 저주로 바뀝니다”

-말씀 묵상-
불순종으로 인한 저주에 대해 쓰여 있습니다. 신명기는 축복에 대해서도, 저주에 대해서도 이스라엘 백성들이 잊지 않도록 거듭 강조하고 가르칩니다.

15~19절
하나님의 말씀에 순종하지 않을 때, 하나님의 나라를 나타내기 위해 택함 받은 이스라엘 백성들에게 임할 저주에 대해 기록된 부분입니다. 이러한 저주가 3일 본문(신28:3~6)에 기록된 축복과 정반대임을 주목해야 합니다. 순종하면 축복, 순종하지 않으면 저주입니다. 중간은 없습니다.

이 저주에 주목해보면 저주받을 상황에 처하면 뭘 해도 저주를 받을 수밖에 없음이 느껴집니다. 유일한 해결 방법은 주님의 말씀을 경청하는 것입니다. 단, 저주를 두려워하는 신앙생활이라면 우리가 향해야 할 시점이 어긋나 있는 것입니다. 우선 이러한 축복도 저주도 조건이 붙여져 있습니다. 순종하냐 하지 않느냐. 그러나 죄 사함과 해방, 복음은 하나님의 일방적인 은혜로서 우리는 그 은혜로 구원 받았습니다. 조건이 없습니다.

물론 신앙은 요구되는 것이기 때문에 조건부인 것 같지만 복음은 믿기 전부터 준비되어 있었습니다. 역사적으로 백성들은 결국 저주를 받았습니다. 하지만 하나님은 이스라엘을 버릴 수 없으셨습니다. 우리의 신앙생활도 축복과 저주를 목적으로 살아가는 것이 아니라 신앙생활의 바로미터로서 살고 어디까지나 바라볼 것은 하나님의 사랑입니다.

20~24절
축복보다 저주에 대해서 더 자세히 쓰여져 있습니다. 내용은 역병, 흉작, 가뭄 등입니다. 또 많은 백성들이 희생된다는 것도 기록돼 있습니다.

이제 여기서 저주에 대해 좀 더 묵상 하겠습니다. 저주를 이해하기 위해 다음 사항을 주의해야 합니다. (단, 무엇을 기준으로 나쁜 것이라고 할지에 대해서는 주의가 필요)

①모든 나쁜 일의 근본 원인은 죄입니다.(하나님 나라에서는 악이 없음을 생각하면 됨)
②자신에게 있어서 상황이 좋지 않은 게 반드시 저주라고 할 수는 없다.
(진짜 좋은 것을 알지 못한다. 귀신도 좋은 일을 할 수도 있고 나쁘게 할 수도 있음)
③하나님은 고난으로 경고하시고 회개를 촉구하시기도 한다.
④회개하면 축복으로 바뀌는 은혜가 예비되어 있다.

전염병에 시달리는 지금이지만 이것은 하나님의 저주일까요? 이 질문에 확실히 대답하기는 어렵습니다. 그러나 어떻게 대처해야 할지는 명확합니다. 애초에 주목해야 할 것은 저주인지 아닌지의 여부 이전에, 우리가 주님과 함께 있느냐는 것입니다. 고난이 있을 때, 설령 그것이 우리의 행동 때문에 생긴 저주라 하더라도 이를 단순한 심판이 아닌 하나님의 경고로 받아들이고 회개한다면 이것은 축복으로 바뀌어 가는 것입니다.

오늘의 상황에 우왕좌왕하는 것이 아니라, 우선 믿음, 예배, 말씀을 회복하고 지혜롭게 이 상황에 대처하는 것이 중요합니다.

-말씀 적용-
오늘, ‘순종’을 마음에 두겠습니다. 하고 싶은 것이 아니라, 작은 것이라도 말씀을 실천하겠습니다.

-오늘의 기도-
오늘의 제가 하나님과 관계를 깊게 하고 회개에 의한 은혜로 살게 해주세요.

[QT一言アドバイス] 2020年6月5日(金)

申命記 28:15〜24
「不従順の道に歩むなら恵みがのろいに変わります」

ーみことばの黙想ー
不従順によるのろいについて書かれています。申命記は祝福についても、のろいについてもイスラエルの民が忘れないように繰り返し強調し教えています。

15〜19節
神のみことば に不従順な時に、神の国を表すために選ばれたイスラエルの民に対してある呪いについて書かれている部分です。
これらの呪いが3日の聖書箇所(申28:3〜6)に記されている祝福と正反対であることは注目すべきです。従えば祝福、従わなければ呪いです。中間はありません。
さて、この呪いに注目してみると、呪われる状況に陥ったら、もう何をしてものろいを受けるしかないと感じます。唯一の解決方法は主のことばに聞き従うことです。
ただし、のろいを恐れた信仰生活であれば、私たちの向けるべき視点がずれています。
まず、これらの祝福も呪いも条件付きのものです。従うか従わないか。しかし、罪からの赦しと解放、福音は神の一方的な恵みで私たちは恵みによって救われました。これは、無条件です。
確かに、信仰は問われますので、条件付きのように思えるのですが、福音は信じる前から用意されています。
歴史的上、民は結局、のろいを受けます。しかし、神様はイスラエルを見捨てられません。
私たちの信仰生活も祝福と呪いを目的として生きていくのではなく、信仰生活のバロメーターとして生き、あくまで見上げるのは、神の愛です。

20〜24節
祝福の時よりものろいについてはもっと詳しく書かれています。内容は、疫病、不作、日照りなどです。また、多くの民が犠牲になることも書かれています。
さて、ここで、のろいについてもう少し黙想します。呪いを理解するために以下のことを気をつけましょう。(ただし、何をもって悪いこととするかには注意が必要。)
①すべての悪いことのそもそもの原因は罪です。(天の御国では悪がないことを考えると良い)
②自分のとって都合の悪いことは必ずしも呪いとは限らない。
(本物の良さが分からない、悪霊でも都合の良いことをすることもあれば、悪くすることもある)
③神様は苦しみで警告し悔い改めを促すことはある。
④悔い改めれば、祝福に変わる恵みが用意されている。
さて、感染症に悩む今日ですが、これは神の呪いでしょうか? この質問にはっきりと答えるのは難しいですが、どう対処すべきかは明確です。そもそも注目すべきは、のろいかどうか以前に、私たちが主とともにいるかです。苦しみがあるときに、たとえそれが、私たちの行動のために生じた呪いであったとしても、これを単に罰ではなく、神様からの警告として捉え、悔い改めるのであるなら、これは祝福と変えられていくものです。
今日の状況に右往左往するのではなく、まず、信仰、礼拝、みことば を回復し、知恵をもってこの状況に対処することが大切です。

ーみことばの適用ー
今日、従順を心に止めます。したいことではなく、小さなことでもみことば を実践します。

ー今日の祈りー
今日の私が神様と関係を深くし、悔い改めによる恵みで生きるようにさせてください。