[QT一言アドバイス] 2020年6月4日(木)

申命記 28:7〜14
「みことば に従う者に与えられる勝利と誉れと富」

ーみことばの黙想ー
神のみことば に従う者を神様がどのように扱われるかが記されている聖書箇所です。神様の約束の偉大さを覚えると共に、人の行いの小ささを覚え、傲慢であった私たちが謙遜さと悔い改めの必要に気付く祝福を分かち合います。

7〜10節
主に従う者は、たとえ敵に責められても、負けることがなく、むしろ、神様が約束された地で十分に収穫を得て生きていくことができることを約束されています。
のちにイスラエルの王国が滅びていく理由も、外国の圧力ではなく、単なる政治的な腐敗でもなく、一番の理由は偶像礼拝だと聖書はかたります。私たちは、人間的に物事を考えるので、神を命令を守ることに、生き残っていくための成功と何の関わりもないように思います。それは、霊的な物事がわからないから仕方ありません。
しかし、聖書に書いてある通り、全てを創造された主を認めるならば、むしろ、私たちがジタバタするよりも、主のみこころの通り生きていくことが最善だと気づきます。
神がされることを人に変える力はありません。私たちが主に従う意義をもう一度、覚える必要があります。
同時に、勝利を得た時にも、主が成してくださったことであって、自分が勝利したと間違えないようにすべきで、主に感謝しましょう。逆に考えると、主は私たちを自分の力では実現不可能な状況を与えられる可能性があります。いかに、未熟でも、主が成し遂げてくださったことを体験的に知ることができるからです。主に従っても困難な状況に陥ることは多いですが、その時こそ、主のみこころに従うべきです。

11〜14節
神様は、神の御心に正確に従う者に、恵みと責任を与えます。神様はに与えられたものを、さらに主のために用いるようにしましょう。知恵のない者は、神から与えられたものを通して、悪を行うことがあります。祝福がなぜ与えられるかを覚え、主に栄光を返しましょう。
私たちが人に貸すほどに豊かになっても、上の立場に立つことになったとしても、決して勘違いして、自分が成し遂げたと錯覚しないようにしましょう。
私たちは神の栄光を表すために与え、同様に、仕えるために上に立つことを忘れないようにしましょう。
イエス様がどのようにされたかを考えると、私たちの本当の敵は、不従順と傲慢という罪です。イエスによって罪に勝利する私たちでありましょう。

ーみことばの適用ー
主が何をしてくださっているのかを知れば、今日私たちがすべきことは主に従うことです。主のみこころを知るために、祈ります。そして、示されることをおこないます。

ー今日の祈りー
私たちが傲慢になることなく、謙遜に、従順に主に従い、主をしたい求めることができるように助けてください。また、神の素晴らしさを人々が知るように用いてください。

[QT묵상 가이드] 2020년6월3일(수)

신명기 28:1~6
“순종의 사람은 복의 근원입니다”

-말씀 묵상-
주님의 말씀에 순종하는 것을 통해 얻는 축복에 대한 내용입니다. 오늘은 하나님의 축복에 대해 묵상하고 은혜를 나눠봅시다.

1~2절
이제부터 가나안의 약속의 땅에 들어가려고 하는 이스라엘 백성들에게 역사를 상기시키고 율법을 재확인하며 하나님의 말씀을 지키도록 모세가 주의를 주는 부분입니다.

주님의 음성에 순종하면 풍성한 축복을 주신다는 약속을 확인합니다. 단 여기에서 주의하고 싶은 것이 있습니다. 이것은 조건부 약속입니다. 그러므로 계약 위반이 있을 경우 이 약속은 파기됩니다. 이것과 달리 조건이 없는 약속도 있습니다. 바로 구원의 약속입니다. 구약 성경에서 이 구원의 약속의 답은 나오지 않지만 그 조각들을 신명기의 이 이후의 본문과 그 외 성경 말씀에서 곳곳에서 볼 수 있습니다. 답은 예수 그리스도까지 기다려야 합니다.

그렇다면 이 축복은 무엇일까요? 여기서 말하는 축복은 근본적인 죄의 해결을 말하는 게 아닙니다. 죄의 해결은 사람이 할 수 없는 일이며 은혜와 긍휼에 의한 하나님의 역사하심으로만 주어집니다. 실제로 신명기를 듣고 있는 세대인 이스라엘 백성들은 이전보다는 무척 나아졌지만, ‘하나님 음성에 확실히 순종하는’ 것은 이미 불가능합니다. 그러나 하나님의 백성이므로 하나님은 그들을 버리지 않으십니다. 그분의 긍휼하심 때문입니다. 그러므로 자만해서는 안됩니다.

그래서 은혜는 하나님의 백성이 됨에 더해지는 은혜입니다. 하나님은 우리를 축복으로 넘치게 하시는 분입니다. 주님의 은혜로 구원받은 우리이므로, 담대히 주께 감사하고 순종하며 축복을 받아, 하나님의 영광을 드러내는 자들이 됩시다.

3~6절
어디에 있든 하나님의 축복이 우리에게 흘러 넘칩니다. 상황, 환경이 아니라 주께서 축복하신다는 것이 중요합니다. 일상생활의 구석구석까지 축복이 임합니다.

우리가 말씀에 순종하지 않는다면 반대로 저주를 받지만, 원래 죄로 인해 저주를 받은 자들입니다. 그러므로 축복은 특별한 것입니다. 주께 순종하는 자가 없다면 축복을 접할 수 없습니다. 우리는 축복의 통로가 되어야 합니다. 이 축복은 하나님의 영광, 즉 조건 없는 사랑을 나타내기 위한 것입니다. 우리 자신이 성안에서도, 들판에서도 하나님의 축복을 드러낼 수 있도록 주님의 말씀에 순종합시다. 그렇게 할 때, 그 사람이 있음으로 인해 그곳이 축복의 장소로 변화된다는 것을 믿습니다. 동시에 우리가 축복을 가지고 나아가지 않으면 성안에도, 들판에도 축복은 없다는 것을 기억합시다. 막중한 책임입니다.

-말씀 적용-
주께 구원받았으므로 주께 순종하며 살고, 주의 영광을 드러내며 예수님을 믿는 자가 더해지도록 섬기겠습니다. 오늘도 성안에서도 들판에서도 주가 축복을 주셨다고 증거하겠습니다.

-오늘의 기도-
하나님, 축복의 근원은 주님 뿐입니다. 주님으로 가득찬 저를 사용하셔서, 참 축복이신 하나님을 바라보는 자가 한사람이라도 더 나타날 수 있도록 해주세요. 오늘 만나는 가족, 동료 등 가까운 사람부터 세상에서 고통 당하며 살고 있는 사람에 이르기까지 축복이 전해질 수 있기를.

[QT一言アドバイス] 2020年6月3日(水)

申命記 28:1〜6
「従順な人は祝福の源です」

ーみことばの黙想ー
主の言葉に聞き従うことによる祝福が記されている箇所です。今日は神の祝福について黙想し、恵みを分かち合っていきます。

1〜2節
これから、カナンの約束の地に入っていこうとするイスラエルの民に、歴史を思い出させ、律法を再確認し、そして、とにかく神のみことば を守るようにモーセが念を押している箇所です。
主の御声に聞き従えば、豊かな祝福が与えられるという約束を確認しています。ただし、ここで、注意したい事があります。これは、条件付きの約束です。ですから、契約違反があった場合、この約束は破棄されます。
これとは、別に無条件の約束があります。これは、救いの約束です。旧約聖書において、この救いの約束の答えは出ませんが、その片鱗が申命記のこの後の箇所やそのほかの聖書箇所の随所に見られます。答えはイエス・キリストまで待たなければなりません。
では、この祝福とはなんでしょうか? この祝福とは、根本的な罪の解決の話ではありません。罪の解決は、人にはできないことで、恵みとあわれみによる神のみわざによってしか与えられません。現に、申命記を聞いている世代のイスラエル人は、以前よりはましになったものの、”御声に確かに聞き従う”ことはすでに、できていません。しかし、神の民として、神は見放されません。それは、神様のあわれみによることです。だから、誇ってはいけません。
ですから、恵みは神の民とされることに加わる恵みです。神様は私たちを祝福で溢れさせてくださる方です。主の恵みによって救われた私たちですから、大胆に主に感謝し、聞き従い、祝福をいただき神の栄光を表すものとなりましょう。

3〜6節
神様の祝福はどこにいても私たちを満たされます。状況、環境ではなく、主が祝福されるものがいることが大切です。それは日常生活の細部にまで至ります。
私たちは、みことば に従わないならば、逆にのろいですが、元々、罪のために呪われたものです。ですから、祝福というものは特別なものです。ですから、主に従うものがいないということになれば、祝福に預かることができません。ですから、私たちは祝福の通路になりましょう。この祝福は神の栄光、つまり、無条件の愛を表すために、表されるものです。私たち自身が町でも野でも神の祝福を示していけるように、主のことばに従いましょう。そうすれば、その人がいることによってその場所が祝福の場に変えられていくことを信じます。同時に、私たちが祝福をもって歩まなければ、町にも野にも祝福がないことを知りましょう。責任は重大です。

ーみことばの適用ー
主によって救われたからこそ、主に従って生き、主の栄光を表し、イエスを信じるものが増し加えられるように仕えます。今日も、町でも野でも、祝福は主が与えてくださったと証します。

ー今日の祈りー
神様、祝福の源は主だけです。しかし、主に満たされている私を用いて、本当の祝福である神様に目を向ける人が一人でも現れるようにしてください。今日、接する、家族、同僚など身近な人から、今、世で苦しみながら生きている人に至るまで、祝福が伝えられますように。