[QT一言アドバイス] 2020年5月9日(土)

申命記 15:12〜23
「贖いの恵みを覚えてあわれみ深く生きましょう」

ーみことばの黙想ー
神への捧げ物を通して分かち合うこと、負債の免除に続き、奴隷の解放時の規定と家畜の雄の初子を神に捧げる規定が述べられています。
与えること、分かち合うこと、捧げることの恵みを今日も分かち合います。

12〜18節
奴隷の解放についての規定が書かれています。現在の日本では奴隷制度はありませんが、当時はありました。これを持って、聖書が奴隷制度自体を否定していないと考えるのは、強引です。神様が奴隷がいることを喜んではおられません。ですから、これは、奴隷に関する規定を強調しているのではなく、生じてしまった奴隷をどのように開放するかということに重きを置いています。
6年の奴隷生活と7年目の負債の免除や奴隷の解放は、6日間の労働と7日目の安息を思い出させる数です。安息の時には主を覚えます。主人も奴隷も主の前で自由になります。そして、奴隷は手ぶらで開放されるのではなく、財産を分けて解放します。その人が経済的な困難から奴隷に逆戻りしないための措置です。しかし、この意味は、主人である自分(ヘブル人)もエジプトでは奴隷であり、そこから解放され、神から多く与えられたことを覚えるためです。
私たちが基本的に覚えておきたいのは、私たちが所有しているものは全て主から与えられたものだということです。だから、分け与えるべきもの、捧げるべきものを惜しんではいけません。
その上で、奴隷であった人が自由意志によって、主人とその家族を愛し、主人に奴隷であることが幸せであることを感じるなら、引き続き主人の奴隷であることできます。
これらの霊的なメッセージはより重要です。まず、私たちも罪の奴隷であったことを覚えましょう。罪から解放される時には、何も持たないのではなく、天の御国と永遠のいのちを預かったことを覚えましょう。そして、まだ、罪の中にいた人で、私たちが関わることができた人で、イエス様を信じ罪から解放された人については、私たちも祝福しなければいけません。そして、与えられた自由を神のしもべとして用いましょう。
旧約聖書は新約聖書の完全な救いと解放の模型であり、また、私たち生活も来るべき再臨によって表される神の御国を見せるモデルであることを覚えましょう。してくださったように私たちもすべきです。

19〜23節
家畜の初子を主に捧げる規定です。このささげ物は、出エジプトの時に人と家畜の男子、もしくは雄の初子が、神の言われた犠牲によって守られたことを思い出させます。新約の時代の私たちにとってはイエスの犠牲を思い出させます。
血を流すのは、それがいのちであり、イエスが十字架で犠牲になられ、血を流されることにつながるからです。傷のないものは、主に捧げ、主が選ばれた場所で、家族と共に、何か欠陥があれば、主には捧げてはならず、聖書の規定上汚れた人でもきよい人でも生活の場でそれを一緒に食べます。いずれにしても、主が与えてくださったことを喜び、主を思い出すことがポイントです。

ーみことばの適用ー
持てる者ではなく与えられた者として、正しい者ではなく赦された者として、人に接します。

ー今日の祈りー
今日、自分が富んでいるか貧しいかに関係なく、私が恵みを受けたものであることを忘れず、必要に応じて、捧げることや分かち合うことに惜しまないように主を見上げさせてください。

[QT묵상 가이드] 2020년5월8일(금)

신명기 15:1~11
“움켜쥐지 않고 편 손에 하늘의 복이 담깁니다”

-말씀 묵상-
채무 면제에 대한 규례를 가르치고 있습니다. 주님은 빚보다 면제에 대해 강조하고 계시다는 것을 기억하며 주가 주시는 은혜를 나누고자 합니다.

1~6절
주님은 빚 그 자체를 금지하지 않으시지만 그 채무는 면제를 전제로 빌려주라고 하십니다. 금전이나 재산 거래에 대해서는 민감한 측면이 있습니다. 즉, 사람은 부를 소유하려는 유혹에 약하다는 것입니다. 그러면 무엇을 위해 이 규례를 주께서 주신 것인지 묵상하려고 합니다.

주님은 이방인에게 빚 독촉을 해도 되지만, 동포는 7년마다 면제해줄 것을 말씀하십니다. 이것은 이방인을 차별해도 된다는 이야기가 아닙니다. 하나님의 축복의 언약(죄로부터 구원하실 계획)의 기초가 기반이 되는, 아브라함과의 언약에 관해 생각할 때 이해할 수 있습니다.

하나님은 3개의 언약을 해주셨습니다. 자손의 번성, 땅의 축복 그리고 제사상으로서의 역할을 다하는 것입니다. 땅의 축복에 대해서는 약속의 땅, 가나안이라는 영적인 본질의 형태, 그림자이며 본질적으로는 하늘의 하나님 나라를 가리킵니다. 그것을 바탕으로 당시 이스라엘 백성들은 가나안 땅에서 생활하려고 합니다. 광야의 유목생활에서는 빈부의 차는 크지 않았지만 정착생활이 시작되면 빈부의 격차가 커질 것을 예상할 수 있습니다. 이 빈부의 차가 커지면 언젠가 지파 별로 땅을 잃어버릴 수도 있습니다. 하나님이 사람을 죄에서 구원하시려는 계획이 돈 때문에 훼손되어서는 안됩니다. 하나님이 선택하신 사람이, 하나님의 선택하신 땅에서 하나님 나라의 모델을 보여주려고 하시므로, 돈 때문에 하나님이 선택하신 사람이 그곳에서 쫓겨나는 일이 생겨서는 안되는 것입니다.

하나님은 만약 이것을 잘 지키면 가난한 자가 없어지고 그럼에도 나라는 부유해질 것이라고, 하나님의 축복을 가지고 지배하되 지배받지는 않을 것이라고 약속해주십니다. 그러나 실제로는 지키지 못했기 때문에 이 축복을 잃어버리는 이스라엘의 역사가 있습니다. 주님이 주신 모처럼의 축복의 약속을 망쳐버리는 인간을 불쌍히 여기시며 어떻게든 구원하시기 위해 예수님으로 이어가시는 하나님의 일하심이 신명기 이후의 구약성경입니다.

7~11절
나누어줄 수 있고 그곳에 필요가 있을 때, 하나님이 주신 약속을 역으로 이용하여 인색하게 굴어서는 안됩니다. 필요에 따라 반드시 손을 벌려야 합니다. 덧붙여 빌리는 쪽도 하나님의 규정을 악용해서는 안됩니다. 문제는 빚 이야기가 아니라, 가난한 자가 생기는 것은 피할 수 없는 일이므로 그 때 주는 자가 되어야 한다는 것입니다. 애초에 그 기저에는 7년이라는 기일보다, 돌려받으려고 빌려주는 게 아니라 줄 생각으로 꾸어주어야 한다는 것이 깔려있습니다. 갚는 쪽은 갚는 것으로 축복이 더해질 것입니다. 중요한 것은 주의 백성 가운데 가난한 자가 없어야 한다는 것입니다.

-말씀 적용-
많이는 아니더라도 주께서 주신 것 가운데 고통 중에 계시는 분을 돕겠습니다.

-오늘의 기도-
재정에 속박받지 않고, 상대방도 부에 얽매이지 않는 형태로 주의 은혜를 나눌 수 있도록 지혜를 주세요. 가난한 자가 보호받고 자립해 나아가는 공동체가 되고, 하나님의 영광이 되게 해주세요.

[QT一言アドバイス] 2020年5月8日(金)

申命記 15:1〜11
「握りしめず、開いた手に天の祝福が注がれます」

ーみことばの黙想ー
負債の免除についての規定を教えています。主は貸し借りのルールよりも、免除に対して強調されていることを覚えながら、主から与えられている恵みを分かち合っていきたいと願います。

1〜6節
主は貸し借りそのものを禁止していませんが、その負債は免除を前提に貸しなさいということです。金銭や財産のやり取りについては、敏感な側面があります。つまり、人には富を所有しようという誘惑に弱いということです。そこで、何のために、これらの規定を主が与えられたかを黙想していきたいと思います。
主は、異国人から取り立てても良いが同胞は7年ごとに免除することを規定しています。これは、異国人は差別しても良いということではありません。これは、神様の祝福の契約(罪からの救いの計画)の基となる、アブラハムとの契約に関して考える時に理解できます。
神様は、3つの約束をなさいます。子孫の繁栄、土地が与えられること、そして、祭司としての役割を果たすことです。この土地の祝福については、約束の地、カナンというのは、霊的な本質の型、影であって、本質的には、天の神の国を指します。それを踏まえた上で、当時イスラエルの民は、カナンの地で生活していこうとします。荒野の移動生活では、貧富の差は大きくなりませんでしたが、定住生活が始まると、貧富の差が拡大することが容易に考えられます。その貧富の差が拡大すると、いずれ、部族ごと、土地を失ってしまうことも起こり得ます。お金のために、神様が人を罪から救おうとされている計画が損じてはいけないのです。神様が選んだ人が、神の選んだ土地に置いて、神の国のモデルケースを見せようとされているので、そこで、お金のために、神が選ばれた人がそこから追い出されてはいけないのです。
もし、これを守れば、神は貧しい人がいなくなり、けれども、国は豊かになり、神の祝福を持って他国は支配しても、支配されることはないことを約束されています。
しかし、実際は、守らなかったので、この祝福を失ってしまうイスラエルの歴史があります。せっかく主が与えられた祝福の契約を台無しにする人間をどうにか憐んで、なんとか、救えるようにイエスにつないでいく神の働きが申命記以降の旧約聖書です。

7〜11節
分け与えることができ、そこに必要がある時に、神の与えた約束を逆手にとって貸し渋ってはいけません。必要に応じて、必ず、手を開かなければなりません。ちなみに、これは、借りる方も神の規定を悪用してはいけないません。問題は貸し借りの話ではなく、貧しい人が生じるのは避けられないことなので、その時に、与えるものでなければなりません。
そもそも、この根底には7年という期日よりも、返してもらうつもりで貸すのではなく、与えつもりで、貸し与えるということです。これを返すものは、返すもので、祝福がマシ加えられるでしょう。
重要なことは、富のことで主の民が欠けてはいけません。

ーみことばの適用ー
多くはなくても、主が与えてくださった物の中から、苦しい方を助けます。

ー今日の祈りー
富に束縛されず、相手も富に束縛されない形で、主の恵みを分かち合うことができるように知恵をください。貧しい方が守られ、自立していける共同体となり、神の栄光としてください。